ゆう かじまの写真アート。届かなくても、問いを残すポートレート。



「届かなくても」
ゆう かじま

思想の設計図     

川辺の写真

エレメント…水     

PROFILE

プロフィール

名前:ゆう かじま (Yu Kajima)
生年月日:9月22日
出身地:東京都東久留米市
光学アクセサリーメーカーに勤めて25年以上拘りのモノづくりをしています。
会社のワークショップでポートレート写真に出会い、
人との出会い、繋がりに惹かれ活動をしています。

「届かなくても」
SNSには、明るく、ポップで、エネルギッシュな写真が溢れている。 それらは、瞬間的な視線を奪い、消費されていく。

私の写真は、その流れの外側にある。

西洋美術、浮世絵——かつての“先端”が、今も残っているのはなぜか。 何が流れ、何が残ったのか。

私の追及は、まだ旅の途中にある。

   「届かなくても」

それは、誰かに理解されなくても、 それでも届くように作り続けるという、私の行動指針。

作品は、答えではなく、問いのかたち。

私は、問いを記録している。 それが、私の写真です。

「エレメント水」シリーズ
記憶にない幼少期私は風呂場でおぼれたらしい、低学年まで水に顔をつける事さえ嫌だった。水は怖い存在… 学生の頃に川をきれいにする活動を始めて、水をよく見るようになった。社会人になり、海の楽しさを教えるインストラクターになり、水中写真を撮りはじめた。今では、FRPで水を表すものを作ったりしています。 水は大地から生まれ、海に帰る。形を変えたり、人と関り、姿を変える。水は木や大地、生き物全てとつながっている。水とは何だろうか?ただ存在するもの?それとも消費されるもの?この考えが頭から離れない。 今、仕事でレンズを磨く事に携わっている、きれいな水がないとそれは作れない。水が新鮮な事も、汚すことも、人間の手にかかっている。私は、よみがえった水を残したい。そして、その今の様子を見守りたい。水と私たちがどう向き合うか、それを記録し表現してみたい。

「思想の設計図」シリーズ
何故人物を撮りたいのか? その正解はまだわからない。抗おうとする自分がいる…消費という構造が苦手で、ただ使われて消えていくものに抵抗を感じる。残るものとは何か? 何が倫理なのか? その答えを探す探求が、私の設計図の芯です。まだステートメントまで落とし込めていない現状にいます。

一番言いたいのは、「残る作品とは?」という問いです。人物を撮ることで、消費の流れに流されず、永遠に残るものを作りたい。その本質を探り続けている。

※「記憶…」ポートレート

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